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自宅で教室を開いてからは、同年代のお友達とのレッスンにも生徒として 参加し始め、英語学習歴は3年近くになろうとしています。 母として彼の英語の世界への導き手として、 日々実践している事柄をお伝えできればと思います。 |

| When he was NORITAMA(Infant編) |
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息子NORIは生まれてしばらく「のりたまくん」と呼ばれていました。
今でも時々親戚筋には呼ばれますが、とにかくわたしが彼をそうよんでいたほんの小さいBABYの頃のお話をします。 といいつつ、もう少しさかのぼると妊娠9ヶ月までレッスンに通っていたわたしなのでいやがおうでも「胎教」の 英語環境はできていたのりたまは生まれて間もなく当時の同僚の先生にお祝いでいただいた日本の童謡と英語の歌と クラシックの収めてある「母と子のための…」という6枚セットのCDをいただき、それをBGMにして来る日も来る日 も平穏な赤ちゃん生活を送っておりました。 わたしはといえば、その時点で何がなんでものりたまをバイリン ガルにしてやるんだ、と言う気持ちはなく、3,4才になったらきちんとレッスンの形で他の子といっしょに教えて いこう、それまでは自然に親しませる程度でいい、くらいにしか思っていませんでした。 というのも、それまで英語講師をしている中で縁あって教えてきた子供たちは、毎週の積み重ねで徐々に英語に親し んで行き、染み透っていき、幼児から始めて4,5年もするとかなりな割合で四つの技能がこなせるようになり、 同時に英会話学習へのmotivationも高まってくる、という過程を数多く見てきたからです。 この年月を早いと見るか遅いと見るかは人によってことなるでしょうが、英語の学習年月イコール英語を母国語とし て話す国の子供の年齢(の英語能力)という図式にあてはめればそんなにあわてなくても、というのが講師をした中 で得た実感でした。 わたしの教室で中学生くらいまで楽しく会話のみならずbicultureの教育を受けたあとは、自分の意志で大人の英会 話学校なり、英語圏にホームステイなどに行って、自分の可能性を試して欲しい、そのために基礎作りだけはしっかり やってあげようというのがわたしの教室方針です。のりたま君にとっても良いお手本となる生徒が数多くいたのでかれ が赤ちゃんの頃は自分の子供の英語のことよりも、この子を育てる上でレッスンに支障をきたして生徒たちに迷惑を かけてはいけない、当時派遣されて行っていた英語スクールの他の先生たちの足を引っ張ったり、うちのクラスだけが 遅れをとらないようにと必死でした。 そんなときそのスクール主催の英語コンテストに参加することになり、わたしのクラスも何か歌を歌おうということに なりました。 その時に以前厚木基地で英会話を習いながら、その先生のお子さんたちに日本語を教えていた頃に先生のお子さんが車 の中で聞いていた曲を突然思い出し、今はアメリカに帰国していたその先生に国際電話をかけてそのうる覚えの曲を口 ずさんで、その曲が入っているビデオを送ってもらいました。 そのビデオがBarneyシリーズの一本でした。そのビデオはクローズドキャプションになっていなかったので、その曲の 歌詞を聞き取るべく何度も繰り返し見ました。わたしの後ろで、お座りができるかできないかの赤ちゃんだったのりたま 君もいっしょに見ていました。そして紫の恐竜くんがHO HO HO!と笑うたび、嬉しそうに自分もキャッキャ!と笑って おりました。以来母は教材のヒントとして、のりたま君のお友達ビデオとしてBarneyシリーズをカタログの上から下まで 新しいのが出ればすぐにという感じで買いあさるようになりました。まだ誰も紫の恐竜の存在など知らない頃でした。 のりたまが1才を過ぎた頃でしょうか、Barneyを二人で見ていて、いつものようにエンディングテーマ'I love you'が 流れ始めた時、突然彼がわたしに抱きつき、ちゅっ!としたのです。’with a great big hug and kiss from me to you'の歌詞そのままに。もちろん英語の意味を理解したのではなく、歌いながら子供たちが必ずBarneyに抱きつく場面 だからまねしたにすぎないのですが、その時わたしはこれが巷で言われている(わたしも生徒の親ごさんに言っている!) ダイレクトメソッド、母国語方式だ!と自分の子供を見て思ったのでした。自分が常日頃教室で行ってきた事は間違いない、 と実感したとともに、やはりのりたまにもこのように自然に覚えてもらいたい、と思ったわたしでした。 NORIがのりたまくんと呼ばれていた赤ちゃんの頃の話でした。 この続きは When he was NORI−NORI(Toddler編)↓でお伝えします。 |
| When he was NORINORI(Toddler編) |
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1、2才当時のNORIは多くの男の子にありがちなように言葉の発達が遅く(今の超おしゃべりぶりから考えれば信じられないし、
心配する事もなかったのですが)まわりの子がたくさんしゃべっているのに、ごくわずかのかぎられた単語のほかには
(わかっている様子はあっても)口に出そうとはせず、耳が悪いんじゃないか、とか英語ばかりで話しかけているからだめなんだ、
とか、周囲にはいろいろ言われました。
耳がなんでもないというのは当然わかっていましたが、英語うんぬんというのはさすがのわたしも少し 気になってきました。 当時のわたしは派遣教室の先生で、この仕事は子どもをあずける関係上、もうそろそろ無理ではないかと思い始め、 新しい道を模索していた頃だったので、毎日の生活に精一杯で心にゆとりがなく、意識して英語で話しかける、ということはしていませんでしたが、 Barneyは欠かさず見せていましたし、BGMはアメリカの友人がクリスマスに送ってくれたWee Sing シリーズをつねに聞かせている、という状況でした。 今思えばこの時期に彼のいわゆる「英語の耳」が形成されていたので、何も迷うことはなかったはずなのですが、何せ初めての子育て、 心がゆれたのは事実で、日本語が出てくるまではもういっさい英語はシャットアウトしようかと一瞬ですが思ってしまった事もあります。 結局仕事柄、家でレッスンの準備で英語のテープをかけたりすることもあるので、彼のまわりから英語をなくす、というのは不可能だったのですが。 彼が2才の時にホームイングリッシュ教室を開きました。新しい教材になれるためテープを毎日聞いたり、彼相手にレッスンのリハーサルをしたり していました。大人の方にも教えていて月2回、子連れで鎌倉のお宅におじゃましたりもしていました。 そのメンバーの方とグアム旅行したのも、その頃です。NORIの日本語がようやくまともに出始めた頃でしたが、英語はまだまだインプットの時期らしく、 簡単な単語以外にはほとんど口にすることはありませんでした。グアムでの思い出は、案の定ないそうです。 母子の毎日の生活はますますわたしの仕事中心に動きだし、おばあちゃんやパパに面倒見てもらうことが多かったNORI−NORI(当時友人やわたしは彼を そう呼んでいました)はいつしかNHKの教育テレビの幼児向け時間帯に放映されている数々の番組に夢中になり、日本人の幼児らしい育ち方になってきて いました。 わたしもお休み前のストーリータイムの絵本読みは英語より日本語の本を多く読んでいました。意識してそうしたのではなく、従兄妹のお下がりや 自分たちのお気に入りの本が当時はたまたま日本語が多かっただけのことでした。 彼が3才になったころ、以前いっしょの場所で講師をしていた先生が自分のお子さん(NORIとちょうど一年ちがいの2才)を含めた子供たち何人か集めて サークルを開くというので、そろそろNORIにも系統立てて教え始めよう、という気にようやくなり、近所の公園仲間のお母さんたちに声をかけて、月2回、 サークル的に英語遊びをしようということになりました。 このときレッスンしていてわかったのですが、NORIは一年間のカリキュラムのほとんどの内容をやる前からすでに身につけていたのです。 完全にではありませんでしたが、歌やマザーグースはほとんど知っていたし、基本的な事柄(あいさつ、身体の部位の名称、数、色、など)は 分かっていました。 特別な事をした覚えのない、どちらかというと子どもより自分のことにばかりかまけている母親に育てられた割にはたいしたもので、 やはりわたしが児童英語講師(家に帰っても主婦や母や妻である前に良くも悪くも骨の髄まで熱血先生!)だったことがこと英語に関しては良かったので しょう。少なくとも3才になりたてでここまでわかっていたことは、わたしにとっては満足の行くものでした。 彼の英語人生は始まったばかりだし、あせらなくても必ずものになる日が来ると、今まで教えた生徒のことなどと考え合わせても、 私はとても気楽な気持ちで構えていました。今でも、です。 この続きは、When He Was NORI-KUN(kid編)でご紹介します。 |
| When he was NORIーKUN(kid編) |
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公園仲間の子供たちとサークル的に楽しんだ月二回の英語教室ではおもに Wee sing children's songs and fingerplays
からの曲を中心にして動きながら英語の動作動詞を覚えていったり、イラストやペープサート、絵本などをつかって
ごく基本的なナーサリーライム(マザーグース)に親しんだりしました。またフォニックスの Biginning soundに
初めて触れて、音と文字のつながりに気づいたのもこの時からです。また欧米文化に親しもうと、ハロウィン
には黒いゴミ袋を皆で被ってwitch/wizardになりながら、Trick or treatしてみたり、クリスマス、ヴァレンタイン
ではカードを作ったり、イースターではゆで卵を持ちよって色をつけたり、ひととおり経験しました。
その頃の彼は英語を(いつもどっかに行っちゃって忙しい)ママと一緒に遊べる良い機会、楽しいアクティビティとして
捉えていたような気がします。
この頃までに彼はすっかり英語の歌を歌いながら踊る(暴れる?)のが好きなやんちゃ坊主に成長し、あちこちの英語教室 に偵察部隊としてママに連れていかれ、体験レッスン荒らし(?)をしていました。その頃母である私が所属していた 英語団体の新人講師さんの体験レッスンの模擬練習に子ども役でさくら出演したときこんなことがありました。 先生役の新講師さんがHead,shoulders...をやらせようとカセットをかけたのですが、Noriは何を思ったのか、 いきなり自分の手の甲を反対の手で叩きながら、Head,shoulders のメロディで Hand!hand!hand!hand!hand!と歌い出しました。 ただ知っている曲を楽しむだけでなく、応用できるようになったのだと、この時知った母は妙に感動したものです。 ネイティヴスピーカーのいる教室に通わせようかと、ひそかに思い始めていた頃でしたが、レッスン内容もいまひとつ(いまみっつ?) だったのと、人数の割に月謝が高すぎることなどから、このまま私自身でしばらく教えつづけよう、それに体験教室を見た限りでは、 私のレッスンのほうが(手前みそですが)楽しそうだし、内容もあるぞ、と確信してしまいました。 幼稚園に入園したNoriはそんなわけで、今度は幼児教室で一緒だったお友達3人と週一回の通常レッスンモードで、ママである私に引き続き英語を 習うことになりました。レッスンではテキストブックのほかに、引き続きナーサリーライムや、Wee sing Games,Games,Gamesの中から動きのある 歌を数多く歌い、ダイアログや単語などはケ゛ーム形式で競い合いながら覚えていきました。 レッスン以外でもちょっとした受け答えを英語で出来るように少しずつなってきました。 またその頃から日曜日にやってくる中学生のクラスでやっていた Jazz chants Fairy talesに興味を示すようになり、いつのまにか お兄さん、お姉さんの横に割り込んでレッスンに参加し(乱入し!?)Goldilocks and three bearsというお話などはかなり正確に暗唱 できるようになっていました。 そういうわけで寝る前に読む絵本も意識してFairy talesに出てくるのと同じお話を探して来て、日本語を必要以上に介入させずに ストーリーを理解させる事に勤めました。 その他に彼が好んで読んで(もらって)いた本はWe are Goingon a lion huntやGingerbreadmanなどでした。 Toy story1の二カ国語版のビデオをお誕生日にいただいて、それを擦り切れるほど見ていたのもこの頃でした。 ↓Nori-kun編パート2に続く↓ |
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お母さん先生のもとで、楽しいアクティビティとして英語をとらえていたNoriに大きな変化が訪れたのは1999年に
入ってからの事でした。
1月に年長さんと一年生のお子さんがわたしの教室に入会してくれることになりました。そこでわたしは、かねてから 使ってみたかった発行したてのコースブックSuperkidsをメインテキストにする事に決め、さっそく取り寄せて テープを聞いたり、テキストをめくったりの準備を始めたのです。するとそばで聞いていたNoriが、「僕もこのテキストで 新しいお友達とレッスンしたい!」と言い出したのです。 テキストの内容はともかく、ライティングの出てくるワークブックは、まだ鉛筆もろくに握れない、当時年中児の彼には無理ではないか、 と思ったのですが、いずれ彼のクラスにも導入するつもりでいたので、じゃあ他のお友達に邪魔にならない様にやってごらんなさい、 ということで、彼は従来の金曜日に引き続き、木曜日のクラスにも顔を出すようになりました。このSuperkidsというのが大変優れた テキストで、必要にして不可欠な事柄がコンパクトに一冊に収まっていて、特にダイアログはまさに、単純明解にして即戦力の英会話なのです。 そしてレッスン構成はまさに三歩進んで二歩下がる(!?)の確実定着型で、Noriのみならず、このテキストを使った子供たちは目に見えるほど 確実に英語を自分のものにしていったのでした。 テキストを指差しながらテープを聞く、という作業がNoriはことのほかお気に入りで、レッスンが終わってからも何度も何度もテープに合わせて 発話していました。普段の会話にSuperkidsのダイアログそのままや、応用したものがしょっちゅう出てくるようになりました。 4月になって大和教室のクラスにも自らの意志で生徒として参加するようになった彼は、 そこでも大好きなSuperkidsを使ったレッスンに意気揚々としていました。 この頃からママと一緒にいて楽しいから、ではなく、英語が楽しいから、レッスンするようになってきたのではないでしょうか。 アルクなどのイベントにも連れて行っていたので、英語を受信する側から、少しずつ発信する側にまわってきたことも、能動的になった原因のひとつかもし れません。こんなことがありました。その年の秋、恒例の(?)各英語教室の体験レッスン回りの時に、某NOVAで、外国人の先生とマンツーマンで30分レッスンした後、 彼が初めて「ぼくここに通いたい。ママの英語もやるけど、両方習いたい!」と言い出したのです。自分のこれまでに培ってきた英語が先生に通じて、 うれしかったのでしょう。自信を深めたのでしょう。 そんなことがあってすぐ、アルクの掲示板で知りたまたま訪れたホームページの主が、ご自分の6才になる息子さんの、某ベルリッツでペアレッスンをいっしょに受け る相手を掲示板を通して募集していました。 それが、あの激辛英語教室見学記を書かれた小倉ゆうこさんでした。彼女のホームページには子どもの英語サイトのほかに、 本業の音楽関係のサイトや、カーペンターズのサイトもありました。ゆうこさんは訳詞家として(とくにカーペンターズ専門家として)とても有名な方なのでした。 わたしは英語のプロであるゆうこさんご本人とその息子さんに会ってみたい、という不純な(?)動機が、Noriにわたし以外の英語の先生につけてやりた い、という気持ちよりほんの少し上回った状態で、ベルリッツの体験レッスンにNoriを連れて行ったのでした。 ベルリッツでは体験レッスンの模様を、別室にいる親が音声のみですがモニタリングできるようになっていて、横浜校の一番の責任者である先生が慣れた様子で行っ た25分ほどのレッスンで、Noriはわたしの予想以上に英語をきちんと理解し、話していました。 その後の面談で先生に言われた、Noriと比べるとはゆう こさんの息子さんの方が現時点ほんの少しレベルは上だけれども2人はいいペアになれる、という言葉に感銘を受け、 それから毎週バスと電車を乗り継いでベルリッツに通わせることを決意したのでした。 英語を自由自在に使いこなし、まさに英語の腕一本で国際的に仕事をなさっているゆうこさんと、6才にして鮮明な発音と英語取得への明確なモーティべーション を持つ息子さんのともくんとの出会いは、わたしたち母子にとってベルリッツでのレッスン以上に大変刺激的なものでした。 NORIYUKI in USA編に続く。 その後の出来事はオンタイムで5月よりのりたま2000レポートとして毎月更新の予定です。 |
